GR(ジール)が時計を見て、食卓から離れる。
「送ろうか?」
 問うと、彼はすぐに振り返った。窓から差し込む朝日が眩しいのか若干目を細め、それから気安い笑顔で首を振る。
「なんのためにお前、わざわざ転移用の魔法陣作ったんだよ。ガキじゃあるまいし、ひとりで帰れるっての。それより悪ィな。急に二日も休みもらっちまってよ」
 アッシュローズは紅茶を手に、軽く笑む。
「構わんさ。緊急で動かねばならん件があるわけでもない」
「ん、サンキュ」
「いったいどんな用事なの?」
 食器の後片付けをしていたメイが手を止めずに訊いてきた。口調から自分に話しかけられたのだとわかったらしいGRが、アッシュローズから彼女に目を移す。
「ん~……今晩やるパーティーに出なきゃなンねぇだけ」
 肩をすくめてみせる。
「この歳になって誕生日パーティーかよってな気もすっけど、今年はディルもいっから。たぶんそのせいもあンだろ」
 メイの手が止まる。ついでにアッシュローズも止まった。唇にカップをつけたまま動けない。思考だけが働く。
 数日前にGRから聞いたのは、彼の双子の弟であるディルことディレイスからリンディア城でおこなわれるパーティーに出席するよう頼まれたという話だ。だからディレイスの名が出てきたことは、なんら不自然ではない。ないはずなのだが──なんだろう、この、妙な気持ち悪さは。何かとてつもなく違和感のある単語が混ざっていたような──気のせいか?
 なんとか硬直を脱するとアッシュローズは、ソーサーにカップを降ろす。と、その向こう側にGRへと駆け寄っていく小さな頭が見えた。フェリスだ。少年はGRのシャツをきゅっと握り、大きく見上げた格好で首をかしげる。
「ねぇねぇじーる。おたんじょうびって、だれの?」
 ストレートな疑問に、GRがさらりと答える。
「俺とディルの」
 ──ガヂッ!
 おもわずうっかり派手に食器を鳴らしてしまったアッシュローズ。が、見咎められることも驚かせることもなかった。当然だろう。そんなものよりも部屋中に響き渡ったメイとフェリスの絶叫のほうが強烈だ。
「じーる、おたんじょうびなのっ? きょうっ? ほんとにっ?」
「あんたねぇっ。そーゆーことはさっさと言いなさいよ!」
 迫るふたりに押されたか、GRがわずかに背筋を伸ばした。が、驚いてみせたのはその一度きり。すぐに苦笑いを浮かべる。目を逸らしながら。
「いやぁ」
「いやぁじゃないでしょっ。もう……水臭いじゃないっ!」
「ぼくもっ。ぼくもじーるのおたんじょうび、おめでとうするー! でぃるおにいちゃんたちだけなんてずるいー!」
「あはははは……っとぉ、そろそろ行かねぇと。じゃ、そゆことで!」
 GRは挨拶代わりかアッシュに向けて片手を上げると、メイとフェリスの制止もなんのその、すぐさま回れ右して出ていってしまった。もはや脱兎の速さだ。きっと部屋だけでなく屋敷からもあの勢いで走り去ったに違いない。
 つられて上げた右手を下ろし、アッシュローズは改めてカップを取った。紅玉色の水面(ミナモ)をすする。
(誕生日だったのか……)
 GRが帰郷の理由をそのまま話さなかったのは、フェリスとメイに気を使ってのことだろう。かつて奴隷であったふたりは己の正確な誕生日を知らない。血のつながっている家族もないに等しい。そんな彼女たちに向かって誕生日パーティーを開いてもらうのだと話したら傷つけてしまうのではないか。──そう考えたに違いない。
(お前の思いやりはときどき的外れだぞ、GR。しかもバラしてどうする。やれやれ)
 胸中で手のかかる馬鹿に向かって苦笑するとアッシュローズは、頬を膨らませている息子同然の少年と妹同然の女性に顔を向けた。微笑み、たしなめる。
「ふたりとも、驚いたとはいえ我儘を言って困らせるものではないよ。明日の夕方には帰ってくるのだから、夕食の席で祝ってやればいい。なに、言わなかったあいつ本人が悪いのだ。日にちのずれは目をつぶってくれるとも」
「……うん……うん、そうだよねっ。よーしっ。ぼく、じーるにあげるぷれぜんとつくる!」
 いち早く立ち直ったフェリスがメイの手を握る。
「めいは? なにあげるの? きまった?」
「そ、そうねぇ」
 中空を見やるメイ。
「ケーキはアップルパイで決定よね。夕食のメニューもあいつの好物ばかりでそろえてあげようかな」
「わぁっ。じーる、めいのごはんおいしいっていつもいってるもんねっ。すきなのばっかりだったらいっぱいうれしいよねっ」
「ふふ、そうね。よし、あたしもがんばろっ」
「うんっ、がんばろーっ! あしゅもがんばってねっ」
「え?」
 いきなり振られた話についていけず、アッシュローズは聞き返した。が、フェリスもメイもすでにこちらに意識はない。
「フェリス。プレゼント作るって、何を作るの?」
「うと、んと……ひみつっ」
「そっか。じゃあ、何かほしい物があったら言ってね」
「うんっ」
 答えるどころかあっという間に部屋を出て行ってしまった。残されたアッシュローズはひとり固まる。
 頭の中で単語がぐるぐる回っている。掴もうにも掴みきれず、意味不明なままでぐるぐると。どうしようもなくぐるぐると。それでもどうにか意味を読み取るべく努力してみる。
「……がんばる? …………プレゼント?」
 口からこぼした言葉が耳に入ってようやく、それは頭の中で意味ある文章の形を成した。形になったのはいいが──アッシュローズは眉を寄せた。
「私がGRに、か?」
 いとおしい者であったり恩義を感じている人ならばいざしらず、相手はあのGRである。なにゆえこの自分が贈り物などしてやらねばならないのだ。
 が、しかし──恩義という意味ならば必ずしも外れてはいない。GRが手伝ってくれたからこそできたことも多いし、それに対する感謝の念はきちんとある。ならば、これをいい機会と思って一度くらい形にしてやるのも悪くないのかもしれない。
(……だが、困ったな)
 アッシュローズは思索の海に潜る。
(何を贈ったら喜ぶんだろう、あいつは)
 これまでにGRと交わした言葉、GRの行動をひとつひとつ思い返してみる。
 喜んでもらわなければ意味がないのだから、苦手だと言っている勉強につながるものは駄目だろう。まず、本は却下だ。ペンスタンドなどの筆記具も邪推されかねない。避けたほうが無難だ。
 では彼が望んで触れたがる物は何か。
(……綺麗なものが好き……だった、よな)
 『綺麗』 と 『好き』 という言葉を一緒に聞いた回数は多い。最近だと──アッシュローズの素顔と歌に賛辞を贈ってきたことがあった。育てている庭の花々に対して言ってくれもした。顔を褒められても困るが、歌や、特に花が綺麗だと言われたときは我が子を褒められたような気分になって嬉しい思いをしたものだ。
「……て、いや、今考えるべきことはそういうことではなくて……」
 妙にむずがゆくなった頭を乱暴に掻いて、思考を元に戻す。
 喜ばせる相手はGRだ。自分を喜ばせても意味がない。だいいち男に花を贈られて喜ぶ男などいないだろう。それに──花は大地に根付いているときが最も美しい。そんな感覚をGRも持っている気がするから、これはやめるほうが正しいと思う。歌は形に残らないから案から外すので決まりだ。
 ほかに彼の目が惹かれた物は何があっただろう。
 故郷にある教会に飾ってあるという天使の絵が好きなのだと、話には聞いたことがある。街角で見かけた、水晶でできた人形や小さなガラス細工たち。色とりどりのタペストリーに表情を輝かせるのも見た。あれらを見つけてきて贈っても喜んでくれるかもしれない。が、
(何か……気に入らないな)
 アッシュローズはため息をこぼした。
 うまく言葉にできないが、こう、何かが違うのだ。想像がつかない。
「むぅ」
 声に出してうなって、
 考えて、
 悩んで──……
「結局こんな、もうすぐGRが帰ってくる時間になっても決まらなくてな」
 ここ、ローゼンス学院理事長室の主であり古い友人であり主治医でもある青年を前にして、アッシュローズは深い深いため息をつくはめになっていた。
「なぁハウヤ。何かいい物はないかな」
 すると、向かいのソファーに座る友人・ハウヤが焦点の合っていない目を逸らした。
「………………………………あのさ」
「ん、何がいい?」
「どうして僕なのさ」
「……え?」
 一瞬の空白のあと、アッシュローズは首を横に傾けた。
「何がだ?」
 ハウヤが半眼になった。唇は笑みの形だが、明らかに笑っていない。
「だぁからぁ、な~んでわーざーわーざー僕のとこに相談しに来たわけぇ?」
「なぜって……お前は交友関係が広いだろう? GRと歳の近い人間とのつきあいも多いから、彼らの好む物にも詳しいと思ったのだが」
 直後、ハウヤがばったりと倒れ伏した。顔をうずめたクッションをばかすか叩く。
 なにやらうめいているが、クッションに吸収されてしまってさっぱり聞き取れない。しかし彼が発している感情は読める。これはアッシュローズに対する完璧な呆れと行き場のない苛立ちだ。顔を合わせるたびに素直になれ素直になれと嫌になるほど言うくせに、いざ頼ってみたらこの態度──。少々どころでなく腹が立つ。
「人が困っているというのに、なんだその態度は」
「あーはいはい勝手に困ってればぁ?」
「な……ハウヤっ」
 アッシュローズの狼狽などそれこそ知ったことかといったていで身を起こすとハウヤは、ソファーの背に肘をついた。ゆるくウェーブのかかった金髪を左右に揺らしながら掌で額を覆う。
「前々から馬鹿だー馬鹿だーとは思ってたけど、まさかここまで馬鹿だったなんて」
「誰が馬鹿だっ」
「きみ以外にいるわけないでしょーっ!」
 断言されてしまった。しかも指差しつきで。
 落ち込む。むしろ拗ねたい。
「……私のどこが……。GRのほうがよっぽど馬鹿ではないか」
 返ってきたのは、特大のため息。
「確かにGRは物覚え悪いし知識量少ないしまだまだ未熟者ではあるけどね。でも彼のほうがオトナだよ悪いけど」
「どこがっ」
 手の隙間からアッシュローズを見やり、またため息をつくハウヤ。
「はぁ~、苦労してるんだろうなぁ。目に浮かぶよほんと……。GRー! ごめんよー、こんな馬鹿でー!」
 リンディアの方角に向かって叫ぶハウヤの態度は心底腹立たしいけれど黙るしかない。言い返したいのはやまやまだが、口が達者な彼のことだ。言い返したら言い返したで倍以上になって返ってくるに決まっている。現に山のように反論しかえされてしまっているのだから。
 アッシュローズは腹に力を入れて理性を保つと、改めてハウヤに向き直った。
「なぁハウヤ。助けると思って知恵を貸してくれんか。もうじき帰ってくるだろうから、それまでにどうにかしたいのだ」
 すると、
「……わかったよ。しょうがないから今回だけ教えてあげる。けど、もうこれっきりにしてよね」
「あぁ、ありがとう。感謝する」
 ハウヤが苦笑まじりに息を吐いて、翠の瞳をまっすぐに向けてきた。邪気なく微笑む。
「一度しか言わないから、ちゃーんと聞いててよ?」
「うむ」
「アホなこと悩んでないでさっさと帰れッ!」
 まばたきの直後に見えたものは慣れたリビングの光景だった。慣れているのもそのはずである──愛用の安楽椅子に腰掛けた状態なのだ。
「何やってンだ? お前……」
 振り向けば、ソファーに座っている不思議そうな表情のGRとフェリス。
「あらアッシュ様、おかえりなさいませ。もうじき夕食の支度ができますからお待ちくださいね」
 さらに現れたメイから遠まわしに外出を控えるようにとの言葉までもらってしまい、アッシュローズは頭(コウベ)を垂れた。
 魔法で強制的に追い出すとは。しかも、追い出すなら追い出すで近場の街に転移してくれればいいものを、よりにもよって屋敷に戻すとは。これではもう、どうしようもないではないか。
(ハウヤめ……覚えていろっ)
 こめかみを指で揉むが、怒りゆえの痛みはおさまってくれない。
「……えーと……。なぁアッシュっ」
 むくれて肘掛けにもたれていたら、一度の逡巡の後に上機嫌な男の声がかけられた。
「これ見ろよ。これ、これっ。なーって」
(…………。さらに腹が立ってきたのはなぜだろう)
 ぼやくも、ここにはフェリスもいる。無視などしたら心配させてしまうだけだ。アッシュローズは八つ当たりの衝動をこらえて顔を向けた。
 視界に入ってきたのは、一枚の紙を広げてみせる笑顔のGR。
「誕生日プレゼントもらったーっ。フェリスが描いたンだってよ。いいだろっ」
 厚手の紙に描かれているのは、幼い子供が描いただけあってお世辞にも美しい絵ではない。けれどソファーを叩いているGRの尻尾は表情と言葉どおりの喜びを表現していた。彼はなおも続ける。
「メイもさ、俺の好物いっぱい作ってくれてンだって。ディルたちは元気だったし、国の様子も落ち着いてたし。なぁんか今年は豪勢な誕生日になったぜっ」
「っ、あーそうかそれはよかったな誕生日おめでとう喜んでいるところ悪いが私からは何もないぞっ」
 一気に言って鼻から息を吹いて目を逸らした瞬間、いきなり室内が静寂に包まれた。
 なぜか。そんなものは簡単だ。GRの尻尾が立てる音が消えたのだ。
「………………」
 我に返った胸の奥が、キリ、と痛む。
 なんでもいいから用意してやればよかった。いや、そんなことよりも、どうして苛立ちをぶつけてしまったのだろう。せっかくの幸福な日なのに。
 謝るべきだ。今すぐに。わかっているのに謝罪の言葉は喉で詰まってしまって出てきてくれない。
 アッシュローズは唇を薄く噛む。
 と、そのとき──
「び……っくりしたぁっ」
 沈黙を破ったのは、力強いバリトン。
「お前の口から 『おめでとう』 なんて言葉が聞けるなんざ思わなかったぜ。……でもま、サンキュ。ありがとなっ」
 そして復活した、尻尾が立てる喜びの音。それはアッシュローズの失言前となんら変わりない様子で──むしろ、いっそう嬉しげに鳴っている。
 そうっと前髪の隙間から彼の表情を窺ってみれば、そこには満面の笑顔を向けているGRが。フェリスからもらった絵も、メイやほかの人たちの様子も、アッシュローズが言った誕生日を祝うお決まりの言葉も、みんな同じ。受け取ったすべてに対し、同じように喜んでいるのだ。彼は。
 わかった瞬間、気が抜けた。
(物にこだわることはなかった、のか)
 大切なのは気持ちであり、その気持ちを相手に伝えること。贈り物はその中のひとつの手段に過ぎない。こんな簡単なことにどうして今まで気づけなかったのだろう。ハウヤに馬鹿だ馬鹿だと言われるのも当然だ。
(私もまだまだだな)
 アッシュローズはこぼれた自嘲の笑みを、気づかれて指摘されるより前に穏やかな微笑みへと変えた。
「……ならば驚きついでに、もうひとつ驚かせてやろう」
 椅子に座りなおして指を鳴らす。
 空間を操って出したのは一本のリュート。抱え、弦を試しに爪弾いてみる。この屋敷に来てから一度も触っていなかったが、大丈夫。体が覚えている。一呼吸置いてからアッシュローズは、目を見開くふたりを視界の端に置いてメロディーを奏ではじめた。
 アップテンポの音色が明るく楽しげに響く。

  いつかの今日の日 きみは世界に愛されて生まれた
  握りしめてた光は 今も変わらずその手にあるね


 歌うのはこの国で生まれた誕生日の歌。聖歌より人に近しい祝福の歌。

  広げよう 抱えきれないほどの贈り物
  いっぱいの気持ち リボンが飾る
  頬を喜び色に染めたら歌うよ
  花が 風が ぼくの心運ぶから


 リュートとアッシュローズの歌に、尻尾のリズムが参加する。
 GRは今、心から喜んで楽しんでくれているのだろう。見なくともわかる。訊かなくともわかる。断言できる。
 あぁ、祝福とはなんと易しく、優しいものか。

  誕生日おめでとう
  天使の祝福になんか 負けないものあげる
  おめでとう ありがとう ここにいてくれて
  きみがいるから 空はいつも蒼色


END.
Copyright (C) 2006-CurrentYear Kamiki. All rights reserved.