ゼフィル帝国の『ちょっかい』に端を発したごたごたから一週間。『右目』の左腕と体力は護衛任務にも耐えられる程度に回復した。もちろん無理は禁物だが、そこはフェンリルが見てくれている。心配ないだろう。城内の様子もだいぶ落ち着きを取り戻してきた。そろそろ日常に帰ってもいい頃合いだ。
 そう判断するとウォルフガングは、国王執務机にどんと紙の山を積み上げた。
「こっちは戴冠式の決済報告書。イグニス国王弟襲撃事件の顛末と処理に関する報告書に、皇帝との騒動で壊した調度品やら食器やらのリストと修理、買い換え費用の領収書その他諸々に、ヴァナルガンドでえぐった地面の埋め立て工事費用の見積書な」
 さらにどどんと追加。
「これは各国からの書簡。内容はだいたい感謝状か、ゼフィルへの今後の対応に関する質問状だな。文句を言ってきてるのもそこそこある。で、返信がこっち。一通り目を通してサインだけしろ。それと――」
「ちょっと待てっ!」
 目を白黒させたキングが悲鳴じみた声を上げる。
「なんでよりにもよって面倒なもんばっかが一気に押し寄せてきやがるんだっ!」
 当然、笑って一刀両断である。
「そんなの、お前が動けない間、俺の所で止めといてやったからに決まってるだろ?」
「ぐっ。……にしたって、イグニスの王弟が襲われたのはこっちの落ち度じゃねえ。なんでそんなもんの事後処理までやんなきゃなんねえんだ」
「それは仕方のねえ話ってやつだな」
 キングの文句を笑うのは、定位置となった王の椅子の背もたれでくつろぐフェンリルである。
「落ち度はなくても、カトルディーナ領内で起きたことはウチで責任持って片付けるのが筋だ。あきらめろ」
「……くっそ、あのパシリ野郎。よけいなもん置き土産にしやがって……」
 フェンリルにまで逃げ道を塞がれ、キングが拗ねた。もう一押しだ。ウォルフガングは彼の前に、どっさりともう一山の紙を落とす。
「あーだこーだ言ってないで、キリキリ働け。黙って勝手なことをした上に三日もぐーすか寝て、あげくに『右目』にひどい怪我をさせたツケだ。何なら、俺が書いといた各国への返信、自分で一から考えて書くか?」
 キングが完全沈黙した。のろのろと書類に手を伸ばす。不機嫌面ながらも仕事をする気になったらしい。手のかかる男を動かすことに成功したウォルフガングはやれやれと嘆息し、そして、そっと王の傍らを窺った。
 そこにいるのは、先ほどからずっと黙ったままでいる青年。『王の右目』。
 正直なところを言えば、これらの書類をキングのところに持ってこなかった理由の半分は『右目』にある。
 彼がキングの傍から離れようとしない以上、書類を持ってくれば内容に少なからず触れることになる。一連の事件の首謀者である帝国の名が――皇帝の名が、彼にどれほどの心的苦痛を与えるか……。こちらがどんなに過去を気にしなくても、気にしないと言っても、本人の気持ちの整理がついていなければどうしようもない。
 大丈夫だろうか。
 思い、慎重に窺い見た『右目』の顔は、ウォルフガングの不安とは真逆と言っていいほど穏やかだった。表情が薄いのは相変わらずだが、頬や眉間に強張りがない。いい具合に肩から力が抜けているのだろう。この場にいることに安心感を持っている証拠だ。
 ウォルフガングはもうひとつ、今度は安堵の息を微笑みとともに落とした。
(一時はどうなることかと思ったが、こいつらもようやく落ち着いてくれたかな)
 そうして、キングが承認印を押した書類の整理に取りかかる。
 と、
「ハァイ! バカは元気に判子押してる~?」
 声が聞こえるや否や、床に黒い光が灯った。光はみるみるうちに影となり、物質となり、美女を包むドレスへと変化する。そうして現れた黒衣をまとった女性、イセルフィアは、すかさず『右目』の腕に絡みついた。何も知らないその辺の青年たちが見たら、一瞬にして嫉妬しそうな密着具合である。
「『右目』、あんまりキングを構い過ぎちゃ駄目よ? 甘やかしたら、すーぐ調子に乗るんだから」
「は、いえ、その……」
 女性慣れしていないのかイセルフィアの押しに圧されているのかは知らないが、今日も安定の狼狽振りだ。気の毒ではあるが実害は――まぁたぶんないだろう。というわけで、二人の様子を呆れ半分同情半分に流していると、
「何しにきやがった。邪魔しに来ただけなら出てけ」
 目つきが二割増しで悪くなったキングが、イセルフィアを睨みやった。しかしこの程度で、御年秘密の王城閣下がビビるわけもない。妖艶にして意地の悪い笑みが強くなる。
「あら。そんな憎まれ口叩いていいのかしら? せっかくイイものを運んできてあげたのに」
 言って取り出すのは、見覚えがない一通の手紙と一抱えほどある大きさの木箱。どちらも明らかに未開封だ。
「何だ、それは?」
 思わず問うと、イセルフィアが笑顔から毒成分を消し、代わりに楽しげな色を浮かべた。『右目』に木箱を預けて近づいてくる。
「ついさっき届いたのよ。送り主は、クロスターク国副宰相」
「はっ?」
「ウフフっ。副宰相って、あの可愛い顔してむかつく男(コ)でしょ? わざわざ早馬で送りつけてくるなんて、面白そうじゃなぁい。だからアタシが預かってきちゃった」
 密書ならともかく、本来は国王執務室に届ける前に罠などはないかを厳重にチェックするものだ。なのに、それをすっ飛ばしてしまうとは。勝手気ままさが胃に痛い。
「お前なぁ……」
 しかし倒れているわけにもいかない。落ち込みそうになる精神力を根性でつなぎ止め、手紙を受け取った。ペーパーナイフを借りて開封し、便せんを広げる。
 お世辞にも綺麗とは言えない癖の強い字には見覚えがある。使われている紙も、クロスタークの紋章が透かし彫りになっている上質紙だ。本物だと判断して大丈夫だろう。
 安堵し、ウォルフガングは改めて書面の内容へと目を移した。
「カトルディーナ国王陛下並びに側近の皆様方におかれましては、変わりなくお過ごしいただけておりますでしょうか。
 先日は戴冠式にご招待くださり、誠にありがとうございました。想定外の事態となりましたが、おかげで大変興味深いものを拝見させていただきました。我がクロスターク王も、時を経てもなお、ひじょうに感じ入っており、良い機会をお与えくださったことへ心より感謝している次第でございます」
「おいおい、俺(ヴァナルガンド)は見世物かよ」
 呆れまじりのツッコミをするフェンリルに、
「ここで『国王代理』って書いてれば、ただの嫌味な奴で片付けられるのにねぇ。ほんと食えないわ~」
 苛ついているのか面白がっているのか微妙な態度で、イセルフィアが頷く。
 一方で、キングの判を押す作業に乱れはない。それだけを横目で確認するとウォルフガングは、読み上げを続行した。
「つきましては、ささやかではございますがお礼の品をふたつご用意させていただきました。どうぞご笑納ください。
 ひとつ目は、南方のカトルディーナに対する不信の芽を、少々間引かせていただいた件でございますぅっ!?」
「うわー、さっそく恩を売りに来やがったぞあの曲芸師」
「抜け目ないわねぇ」
 これにはさすがのキングも気に触ったのか、手を止めた。煙草の先を天井に向ける。
「ったく、大国を気取りやがって。いっそのこと同盟から外してやろうか」
 ――いや、それはいろいろ無理だろう。今あの国との同盟を解き、万が一敵対関係になった場合、南からの貿易ルートの大半が、なくなるか運搬費用が上がるかの二択だ。そんなことを大臣たちが認めるわけもない。
 声に出さず却下して、おかげで冷静さを取り戻せたウォルフガングは、紙へと目を戻す。
「こちらで抱えておりました案件に関わっていたこともあり、僭越ながら独断で対処させていただきました。もちろん、聡明なカトルディーナ陛下のこと。裏の意を邪推し、貴国と我が国の長きにわたる友好関係に亀裂が生じるようなことは微塵もなさらないでしょう。ですから私といたしましては、ただひたすらに、陛下が無用の心痛をお抱えにならないことを願うばかりでございます」
 遠回しな物言いに隠しているようで隠す気もなさそうな牽制を聞き、フェンリルが口端を上げて王を見下ろす。
「『聡明な陛下なら』だってよ。もし同盟を破棄したら、正々堂々馬鹿呼ばわりする気じゃねえ?」
「………………」
「ついでに言っとくがな。あの副宰相、ゾーイとは普通に話してたからな。終始穏便に。これは絶対、お前がクロスターク王をぞんざいに扱うから、その嫌がらせだぞ」
「うるせぇ、ケダモノ」
 フェンリルの鼻先に、ぶぅ、と紫煙をおもいきり吹きかけた。げほげほとむせながらわめく銀狼からそっぽを向く。
 そんなキングの大人げない態度を、呆れ、微笑んで眺めていた『右目』が、こちらへと視線を振ってきた。
「では、補佐官。こちらがふたつ目ですか?」
 机の端に木箱を置く手つきは思いのほか慎重だ。どうやら重量があるらしい。
 いったい、何が入っているのか。確認のため文章をたどる。
「えーと……、ふたつ目は、我が国の伝統酒、プリム酒でございます。今年の新酒は例年にもまして良い出来となりました。我が王が、ぜひカトルディーナ陛下にもご賞味いただきたいと望まれましたので、王が認定いたしました三瓶を――おいこら待てバカキングっ。仕事中だぞっ」
 いそいそと立ち上がって木箱に向かう酒好きを止めてはみたものの、やはり聞くわけもなく。
「いいからさっさと続き読め」
「あぁもうっ。――送らせていただきました。陛下にはぜひ、ロックでお召し上がりいただきたく存じます。とろりと濃厚な舌触りと、酸味と甘みがともに芳醇な、プリム酒独特の味をお楽しみいただけることでしょう。また、炭酸水に少々垂らすと、アルコールがほのかに香る爽やかな飲み物にもなるのがこの酒の特徴です。酒の苦手な方にはこちらをお薦めいたします。わずかばかりの量ではございますが、我が国自慢の一品をご堪能いただければ幸いです。
 夜はまだまだ冷える時期でございます。どうかご自愛のほどを。いずれまたお目にかかれる日を、我が王共々楽しみにしております。――以上だっ! 呑むなっ!」
 しかし、すでに木箱どころか酒瓶の封も一本開いていた。
「ひとくちだけだって。味見、味見」
「お前のひとくちはグラス何杯だっ? 寝酒でボトル一本開ける奴の言うことなんか信用できるかっ! しかもイセル! キングに付き合ってどうするっ!」
 いつの間にか炭酸水の入った水差しと人数分のグラスを持ってきたイセルフィアが、きゃっ、と年甲斐もなく可愛い子ぶる。
「堅いこと言わなくてもいいじゃな~い。クロスターク産のプリム酒、それも新酒だなんて、めったに呑めないのよ~? ほらほら、『右目』も遠慮しないで」
「いえっ、俺は、本当に酒は呑めませ――」
「大丈夫、大丈夫っ。手紙にも、炭酸水で割れば子供でも呑めるって書いてあったじゃない。それに、もし酔っ払って倒れても、アタシがちゃーんと介抱してア・ゲ・ルっ」
 ――目がマジだ。良からぬ方向に、目がマジだ。
 さらに過去の大事件にして珍事件が一瞬にして脳裏を駆け抜けるに至り、ウォルフガングは大急ぎで二人の間に割って入った。
「子供でも呑めるなんて、ひとっことも書いてないっ! だいたい、『右目』がウイスキーボンボン一個で倒れたことを忘れたのかっ? ただでさえ完全回復はまだだっていうのに、妙な無理をさせるんじゃないっ!」
 『右目』に押しつけようとしていた空のグラスを奪い取る。
 が、さらに横から伸びてきた手に奪われた。キングだ。
「プリム酒は完全にジュース寄りの酒だ。ウイスキーに比べりゃ度数も低いしよ。うるさく言うことないんじゃね? あんま目くじら立ててっと、吊り上がったまま元に戻らなくなるぞー」
「大きなお世話だっ。しかも誰のせいだと思ってるっ?」
「お前をそういう性格に育てたママのせい。それに、炭酸水の下りは明らかに『右目』に気ィ使った話だろ。舐めるなり香りをかぐなりくらいはしてやらねえと失礼ってもんだ」
「…………」
 ふと、思考が冷めた。自然と目蓋が半分降りてくる。それと同時に、おそらくは自分とそっくりの表情なのだろうフェンリルが、半眼でキングを眺めた。
「お前、絶対に何かくだらねーこと企んでるだろ」
 口笛を吹きながら机に戻り、グラスに酒を注ぐキングに、イセルフィアがグラスと『右目』の腕を両手に持って駆け寄っていく。さらに、漂い始めた果実系の香りに興味を引かれたか、フェンリルまでもが首を突っ込み始め、もはや昼日中の国王執務室とは思えない騒ぎだ。
(あぁぁ、どうしてこいつらはこう、好き勝手に突っ走りたがるんだろうなぁ)
 ウォルフガングはひとり、こめかみをもむ。
 偽王の戴冠。現国王存命の事実公表。帝国による襲撃。『右目』の正体。皇帝来訪と宣戦布告。これがほんの数日間での出来事だ。
 様々なことがあった。ありすぎた。追いつめられた『右目』は死の淵をさまよう怪我を負い、キングは今も記憶に根を張っている喪失の恐怖に怯え、フェンリルは望まない賭をせざるを得ない状況に置かれた。イセルフィアの涙など初めて見たし、かくいう自分も、腹の底から本気で怒ったのは何年ぶりか。
「ほらよ、ウォルフ。せっかくなんだからお前も呑め」
 キングが、炭酸水で割った酒のグラスを無理矢理持たせてくる。そして淡く色づいた液体をなみなみと注いだ自分のグラスと合わせて鳴らし、まるで水のように大きくひとくち。
「ふん。下戸のおっさんが選んだにしては上等じゃねーか」
 上機嫌でふたくち目をすする視線の先には、イセルフィアから必死になって逃げている『右目』。さらにそれを、呆れ顔でフェンリルが眺めている。
 目の前の光景は、文句なく日常であり、平穏そのもの――なのは間違いないのだが、見ているだけで本当に心底疲れる。
(まったくもう……っ)
 ウォルフガングは、今日何度目になるか忘れたため息をついた。こめかみに入った力はそのままに、頬をひくつかせて笑い、グラスを掲げる。
(みんな元気で何よりだッ!)

 ――酒盛りが最初の一杯だけで終わるわけはなく、場の空気が落ち着くわけもなく。結局、青年が酒の力で泣き出したのを合図に補佐官の雷が王と王城に落ちたことは言うまでもない。

END.
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