「──……ん、ん?」
 目を閉じていることに気づき、次いで、いつの間にか眠ってしまっていたのだと思い至る。エルヴィラはぼやける目をこすりながら頭を持ち上げ、辺りを見渡した。
 家具とその配置は国王執務室のものだ。ソファーで父の仕事が終わるのを待ってるうちに眠ってしまったらしい。それは理解できる。では、なぜ無人なのだろうか。
「やっと起きたかよ」
 不意に声が。
 顔を横に動かすと、自分の体の下から続く銀色の毛皮の向こうにブルーの瞳があった。カフスの着いた大きな耳を伏せた狼が、不機嫌そうに目を細めてこちらを見ている。
 エルヴィラはとりあえず体を起こした。下敷きにしていた銀公フェンリルをぽふぽふと叩いて毛並みを整えてやる。
「ウォリィたちはどこに行ったの?」
 するとフェンリルは、鼻息をひとつ噴いてから口を開けた。
「夕方に到着する予定だった客がさっき着いたとかで、キングたちと一緒に出迎えに行った。今頃、貴賓室でだべってんじゃねぇか?」
 銀の長髪を持つあの男は、態度がでかい上に悪いときているが、仮にも国王である。そんな人間が自ら出迎える客となれば、相手は間違いなく国賓クラスだろう。それくらいはエルヴィラにも容易に想像がつく。
 つまり、午後から約束していた父との買い物は、国王が仕事をサボったせいで時間を削られただけでなく、予定外の仕事が入ったおかげで完全に消えてしまったというわけだ。
 国王補佐官という立場の忙しさはそれなりに理解しているから駄々をこねる気はない。それでも、やはり残念極まりないのは確かだ。数日前に街で見かけた髪飾りが自然と脳裏に浮かぶ。
(あれ、ほしかったのに~っ。そもそも、キングがちゃんと仕事してたらとっくに街に出てるはずだったのよっ。……今度行ったとき売り切れてたら、キングのせいだわっ)
 結論を出して納得。
 落ち着いたところで、はたと疑問が。
 エルヴィラは隣で伸びているフェンリルを見やる。
「キングが仕事なのに、なんであんたはここにいるわけ?」
 答えは即座だった。
「お前が下敷きにしてたからだろ」
「あ、そう」
 さらりと応えたら、フェンリルがこれ見よがしに嘆息した。
「ウォルフは起こすなってうるせぇし、キングはキングでうっとうしくなくていいとか言って置いてくしよぉ。……まぁ、客が客だからってのもあるんだろうが」
 そこでわずかに言葉を止め、
「そうか。ここにいれば漫才につきあわなくてすむのか。あー、こりゃいいや」
 くつろぎの体勢で尻尾を揺らしだした。どうやらサボる気満々らしい。
 自分は国王のせいで我慢を強いられたというのに。その保護者である毛皮は仕事を放棄するという。このような横暴が許されていいものだろうか。いや、ない。
「しょうがないわねっ。わたしがキングのとこに連れてってあげるわっ」
「ちょっと待てっ。お前、人の話聞いてたか?」
 大きな狼の頭が仰ぎ見てくるが無視だ。エルヴィラはフェンリルを両手で抱えると勢いよく立ち上がった。廊下に出て貴賓室がある方へと足を向ける。
「馬鹿にしないでちょうだい。キングじゃあるまいし、ちゃんと耳はついてるわ」
「いや、あいつはバカだがアホじゃねぇぞ? って、そーゆー話じゃなくてだな。いいから部屋でおとなしくしてろ」
「なによ。わたしが責務の邪魔をしちゃったお詫びをしてあげようって言ってるのよ? 女の好意はありがたく受けるのが男の礼儀でしょ」
「ありがた迷惑を拒むのは人類みな共通だっ」
「人じゃなくて毛皮じゃない」
「毛皮ゆーなっ。噛むぞっ」
 エルヴィラは立ち止まるとその場にフェンリルを落とし、十歩進んで振り返る。
「噛めるもんなら噛んでみなさいよっ」
「こっ、こンの小娘……っ」
 尻尾でじだじだと床を叩く様に満足すると、エルヴィラは戻って再びフェンリルを持ち上げた。
 が、どうにも歩きにくい。要するにフェンリルが大きすぎるのだ。どう頑張っても抱えきれないため引きずってしまい、それが足の動きの邪魔をする。
「あぁもうしょうがないわねっ」
 エルヴィラはあきらめるてフェンリルを背負った。彼の頭部を自分の頭に乗せる。これで長い胴体が足に絡んでくることもない。彼が自力でへばりつけるのだから両手で持ってやる必要もない。完璧だ。
「うん、これなら運びやすいわ」
「おま……、俺をいったいなんだと……」
 フェンリルの呆れ声が頭に響くが、これまた無視だ。エルヴィラは機嫌よく廊下を歩き出す。
「──ちょっと待てっ」
 直後、制止を求められてしまった。
 エルヴィラはしかし、足を止めずに速度を緩めるだけにして目を上げる。
「なによぅ、まだ文句があるっていうの? ブラッシングしてあげた恩も忘れて」
「その途中で寝ちまった奴が言うな。……いや、だから、そうじゃなくてっ」
 毛皮がわずかにしがみつく力を増した。身をよじるのが背中にも伝わってくる。さらに気配がどこか緊張したものになっていくのに気づいてしまえば、さすがのエルヴィラも不穏なものを感じざるを得ない。
「どうしたの?」
 訊いた、刹那。
 ──ガタタッ!
 間近ではないが遠くもないところで物音がした。次いで乱暴な足音も。説明はできないが、これは嫌な音だ。
 直感で判断し、エルヴィラは勢いよく音のした方向を振り返った。
 音の出所を察するのに時間は一秒もいらない。
 こちらに向かってくる男たちは明らかに傭兵の類──不審者だ。そしてこの城で出くわす不審者といえば暗殺者しかない。
「エルヴィラ、走れっ!」
「言われなくたって走るわよっ!」
 叫び、踵を返した。全力で足を動かす。
「いったいどういうことっ? なんでわたしが追いかけられなきゃいけないのよっ」
「俺を背負ってるからに決まってるだろ。だから部屋でおとなしくしてろって言ったんだ」
「そういうことはもっと早く言いなさいよねっ」
「言ったじゃねぇかっ」
「あーもう、ほんっとに使えない毛皮なんだからっ」
「だぁから毛皮言うなってぅおっ?」
 驚愕が入った声。
 それに対し疑問を発するまでもなく、視界に新たな人影が飛び込んできた次の瞬間、エルヴィラの体は浮き上がっていた。
「きゃあっ」
「失礼」
 走りながらエルヴィラをいわばお姫様抱っこして、形ばかりの謝罪をしてきたのは、見知らぬ男性──
「副宰相っ?」
 フェンリルが端的に彼の正体を明かしてくれたが、端的過ぎてエルヴィラにはさっぱりだ。
「副宰相って何? 誰?」
「あー、心配しなくてもこいつは味方だ。一応な。……てか、客がこんなとこで何やってんだ」
 後半の問いを受け、男性が口を開く。
「少々野暮用ができまして。これから戻るところですよ。フェンリル殿こそ、どうしてこちらに?」
「…………。ちとした野暮用だ」
「そうですか」
「もうっ、ふたりだけで納得してないで説明しなさいよっ。あんたは結局誰なわけっ?」
 すると、フィンチの向こうでうっすらと微笑んでいる 『副宰相』 なる男は、エルヴィラを見て笑みを強めた。
「失礼しました。私はクロスターク国副宰相のライドと申します。お嬢様が不届き者に追われてらっしゃるようでしたので、僭越ながら手助けを」
「……お嬢様……」
 頭の上で、プ、と吹き出してくれた狼には、耳を引っ張ってやることで憂さ晴らしをした。その上で自分を抱きかかえている男を見やる。
 支えてくれている両腕は力強いものだったが、 『右目』 より年下にしか見えず、しかも副宰相と言うからには文官で、父をはじめとした大柄な男性を見慣れているエルヴィラにしてみれば不安を感じずにはいられないような細身である。真っ先に浮かんだ印象が 「おせっかい」 だったのは当然だろう。
 エルヴィラは口を尖らせた。
「余計なことしなくたって、騎士たちがいるとこまで行けたのに。ここの大臣たちだったら、きっと真っ先に逃げてたわよ?」
 続く同意はフェンリルだ。
「まぁ確かに、高官がする行動じゃねぇな」
「耳が痛いですね」
 そんなことを言いながらも笑っているライドは、背後に視線をやってから前方を見る。
「大丈夫ですよ」
 目が、すっと細くなった。
「傭兵から王の側近へと出世したのは、何も 『右目』 殿の専売特許ではありません」
「え?」
 疑問。しかし返ってきたのは別の言葉。
「騎士団にはすでに伝令を走らせています。彼らに任せましょう。撒きますよ。つかまっていてください」
 否やを言う暇もない。
 いきなり体が一段階上に浮き上がったと思ったら膝裏から片腕を抜かれ、エルヴィラは反射的にライドの首にしがみついた。
 彼はまるでそれをわかっていたかのようなタイミングで一気に速度を上げ、廊下を一直線に走る。目指すのは──開放されている窓だ。
 察したフェンリルがぎゃあと叫ぶ。
「待て副宰相ここ三階──」
「舌を噛みますよっ」
 ──ダンッ!
 踏み切り音。
 跳んだ。
 窓枠を越えた直後に加速がかかる。
 下は遠い地面。民家の三階とは高さが違う。このまま落ちたら骨折は免れない。打ち所が悪ければ死ぬ。エルヴィラはたまらず目を閉じた。
 落下感が襲い掛かる。
 しかしそれは木の葉を揺らす音ともに、上から引っ張られたかのように止まった。かと思えば逆に上に向かって放り上げられ、次の瞬間にはまた落下の感覚が来て、着地したと見せかけてまた落下。
「──……もう目を開けても大丈夫ですよ」
 笑み混じりの声が聞こえる。次いで膝裏に再び腕が回され、横抱きにされた。
 言われるままにまぶたを上げてみれば、現在地は中庭の地面だった。横には一本の木。どうやらこれの枝を経由して降りてきたらしい。一方で遙か上空、さきほどまでいた階の窓には、こちらを驚愕──というよりは茫然自失の表情で見下ろしている傭兵たちがいる。ついでに肩の向こうには、目を回して頭から落ちたフェンリルが。
「お、お前、どんだけ曲芸師なんだよ……」
「お褒めに預かり光栄です」
「褒めてねぇ」
「さ、彼らが降りてくる前に先を急ぎましょうか」
「お前も大概、人の話を聞かねぇ奴だよな」
 呆れのあまり撃沈したフェンリルを手繰り寄せて膝の上に乗せてやりながら、エルヴィラは早足で歩き出したライドを見上げた。
「ひとりで歩けるわ。降ろして」
 しかし返ってきたのは微笑だった。
「まだ安全とは言い切れません。もうしばらくは、どうぞご辛抱ください」
 ──なんだろう。どうにも嘘くさい臭いがする。
 ありていに言えば、信用しきれない。
 フェンリルが味方だと断言するからには、少なくとも現状においては信じていい人間のはず。ならばこれはエルヴィラのライドという一個人に対する印象なのだろう。
 とはいえ、間違いなく助けてもらっておいて、今ここで安易に腕を振りほどくのは抵抗がある。エルヴィラはおとなしくその場で息をついた。
「わかったわ。……それにしても、あんたって物好きよね。よその国の人間なのに、どこの誰かもわからない子供をわざわざ助けるなんて」
「おや、 『どこの誰か』 はわかっているではないですか。クライスラー補佐官殿のご令嬢でしょう?」
 突然の指摘には、さすがに驚く。
「なっ、なんで知ってるのっ?」
「この国の象徴であらせられる銀公に気安く触れられるとなれば、対象者はずいぶん絞られます。あとは消去法ですよ。国王陛下は未婚で隠し子の噂もない。 『右目』 殿は言わずもがな。となれば補佐官殿のお身内という線がいちばん有力でしょう。それに、どことなく面影がありますからね」
 娘は父親に似ると美人になるといいますから、お嬢様はきっとお綺麗になりますよ。
 そう言われたら、悪い気はしない。
 エルヴィラは第一印象を軟化させて笑顔になった。
「さすが、副宰相をやってる人なだけはあるわね。鋭いじゃない。わたしはエルヴィラよ。とりあえず助けてくれたことには礼を言うわ。ありがと」
「身に余る光栄です」
 ようやく立ち直ったか、フェンリルが顔を上げた。
「光栄なのはいいが、どこに向かってんだ……?」
 カフスをつけた耳を、ぴるっ、と振る。
「って、まさか」
 ライドが笑う。
「もちろん貴賓室ですよ。あそこがいちばん安全でしょう? それに、 『右目』 殿と補佐官殿にばかり、バカ陛下方のお世話を押しつけるわけにもまいりませんからね」
「げ」
 王の証が表情を崩した。
「ほかの場所にしよう。な?」
「ははは、駄目ですよフェンリル殿。逃がしません。貴公にはしっかとカトルディーナ王を御していただかなければ」
「それは無理」
 フェンリルの即答に、エルヴィラもまたうなずく。
「あんな暴走馬をどうにかできる人がいたら、わたし、尊敬してあげてもいいわ」
 すると。
 フェンリルが無言になり。
 ライドが首をかしげてそれを見下ろし。
 次に狼の乾いた視線がエルヴィラに向いて。
 目を逸らしつつ盛大にため息をついた。
「すっかり忘れてたが……、このまま行ったら、むしろ親バカ補佐官が何言い出すかってことのほうが悩みの種かもな」
 これには黙っていられない。
「なによっ、わたしのウォリィに文句があるっていうのっ?」
「あえて言わん」
「どういう意味よっ!」
「まぁまぁお二方、仲良くまいりましょう」
「…………。どこぞの副宰相がしゃしゃり出てきたせいだってのは、忘れといてやるよ」
「ありがとうございます」
「……流すわねぇ」
「ここまでくると腹も立たねぇな」

 かくして貴賓室で騒動が巻き起こるまで、あと五分──。

END.
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