商店が軒を連ねる通りは、夕方のにぎやかさに包まれている。
 夕飯の買出しに出てきた主婦。客引きをする店員。学校帰りの学生。さまざまな人間たちが行きかう中、カトルディーナ王は少なからぬ注目を浴びながら一軒の店を目指して歩いていた。
 普通に考えて外出には向かない時間である。人ごみが多ければそれだけ不審者が潜んでいる確率も高い。しかも今、城は遠方からの客を歓迎するため晩餐の準備中だ。当然それに参加する王は部屋で待機しているべきだろう。
 だが、偶然得た情報をふいにするのは惜しかった。しかも今を逃すと次はいつになるかわからない。となれば善は急げである。要はさっと行ってちゃっと帰ればいいだけの話だと、隙を見て城を抜け出してきたのだが。
「……なぁキング」
 右肩でフェンリルがぼやいた。
「ここまで来といてなんだが、やっぱ帰ったほうがよくねぇか?」
 王は前を見たまま歩き続ける。
「あれをあきらめろってのかよ」
「だったら、せめて 『右目』 が戻ってくるのを待ってだな」
「んな時間あるか」
「それはまぁ、そうなんだけどよぉ……」
 歯切れ悪く呟くとフェンリルは、首をわずか後方にひねった。
「さすがにこれはマズくねぇ?」
 毛皮の言いたいことを過たず察し、王はぐぅとうなった。足を止める。
 すると背後から、一歩遅れて急停止する足音が。
「ん、なんだ。着いたのか?」
 力強い声が響く。
「見たところ普通の市場のようだが……。いったい何をする気だ?」
 その好奇心をめいっぱい乗せた問いかけには、苛立ちと疲れを感じずにはいられない。王はこめかみを引きつらせて振り返った。
「いつまでついてくる気だテメェは。さっさと城に戻ってろ」
 明らかに身分の高そうな服を着た黒髪の男が、綺麗に微笑んで胸を張る。
「さっきから帰れ帰れとしつこい男だな。私に知られてはまずいことでもあるのか?」
 肩にかかった癖の強い長髪を払い、鼻で笑う。
「そもそも客を無視して外出など、一国の主としての自覚がないと見える。そのでかい頭の中身は空か」
 軽く理性が切れた。
 王は口角を吊り上げる。
「客のくせに勝手に抜け出して歩き回るテメェはどうなんだ。じっとしてられねぇのかよ。チビは精神年齢までチビだってか?」
「図体ばかりでかい子供には言われたくないぞ」
「チビなおっさんに言われる筋合いもねぇ」
「……キング。不毛だからその辺でやめとけ。クロスターク王もな」
 げんなりと首をたらしたフェンリルの制止に、チビことクロスターク国国王が腕組みして息を吐いた。
「フェンリル公がおっしゃるなら、仕方ない。このあたりで許してやろう」
「テメ──」
「だーもう、買うんだったらさっさと買いに行けバカキング! 時間の無駄だっ!」
 フェンリルに言葉尻を奪われたあげく正論をぶつけられ、王は口を閉ざした。舌打ちひとつ、踵を返して歩き出す。
 そして当然のようについてくるクロスターク王。
「買い物か。王の責務を放棄してまでとは、よほどのものなのだろうな」
 目も合わせずにあしらう。
「下戸チビには関係ねぇこった」
「誰が下戸だ。酒の楽しみ方も知らん若造め」
「ジュースで酔っ払っちまうヤワなおっさんが言ってんじゃねーよ」
 しかしこのやりとりで目的が何かを察したらしい。声が落ち着いたのはすぐだった。
「ずいぶんと執心のようだな。それほど美味い酒なのか?」
 答えたのはフェンリル。
「限定販売の幻の名酒だとよ。前にこの酒を手に入れたときは、このバカ、飲む前にドジって酒瓶ごとパアにしちまってな」
「ほぉー。カトルの酒は詳しくないのですが、幻と言われるとそそられますな。ここで出逢えたのも何かの縁。ぜひ一本買わせていただきたいものだ」
 ──この男、なぜフェンリルが相手だと貴人に対する物言いをするのだろう。
 ともあれ、軽口はいくらでも叩き込めるが、どうやらそんなことをしている場合ではないようだ。王は速度を一歩分落とした。クロスターク王の斜め横に移動し、視線を前に据えたまま声を出す。
「おい、チビ」
「なんだ、デカブツ」
 同じく前を見たまま応えた黒の王が、目を半眼にするのが視界の端に映った。気づいているらしい。慣れとは恐ろしいものだ。
 同病相哀れむに近い感慨を持ちつつ王は、彼を建物側に立たせて足を止めた。
「とりあえず」
 ふぅと軽く深呼吸。
「邪魔すんな?」
 途端、路地の影から十数人の傭兵が飛び出してきた。異変に気づいた通行人たちが慌てて退避する中、一気に周囲を包囲される。逃げ場はない。
 王は即、両手に愛銃を握った。
 クロスターク王がぎょっと目を剥く。
「まさかこのようなところでやりあう気かっ? 往来の真ん中だぞっ」
「甘っちょろいこと言ってる場合か」
 黒の王を後ろに突き飛ばし、
「かかれッ!」
 襲いかかってきた最初の敵を撃つ。
 一発必中。
 雑魚に二発も使う必要はない。弾の無駄だ。見るかぎり手練はいないから、打ち漏らす理由もない。
 だがしかし、ただでさえ懐に飛び込まれると弱い飛び道具。武器を持っていないクロスターク王をかばいながらとなると手が限られてくる。敵もそれを考えてか、見るからに貴族然とした──言い換えれば無力そうな──クロスターク王を人質にしようとする意図が見える。
 もっとも、彼らに黒獅子王の異名を持つ男を捕まえられるとは思えない。捕まったら捕まったで無能だドジだと馬鹿にしてやるネタが増えるだけのこと。しかし、さすがに怪我をさせては問題が生じてくる。それは避けたい。
 のだが、
「何を考えている! 一般の民に当たったらどうするっ!」
 護ってやっている人間がやかましい。
「るせえっ。ンなヘマするか、テメェじゃあるまいしっ」
 おかげで苛立ちのあまり一発ミスしてしまったではないか。運よく怪我人はないが。
「言っている傍からそれか……っ」
 クロスターク王の嘆息を耳端に引っ掛けつつも、突っ込んできた敵を寸前でかわして膝蹴りを食らわせ、よろめいたところへとどめをぶちこむ。
「もーいーからテメェは黙ってろ。首突っ込むな」
「なっ。……まったく、世話の焼ける……っ」
 背後で鳴ったのは舌打ち。
「ま、待て──」
 気づいたフェンリルの制止も聞かず、一歩足を踏み出すのは、
「鎮まれィッ !!」
 大音声をとどろかせたクロスターク国王。
「害をこうむるべきでない者たちが集まる場所で騒ぎを起こすとは何事かっ!」
 一瞬にして肌を刺す威圧感が場を支配した。
 誰もが動けない。声を発することすら叶わない。生まれながらの王、その怒りを真正面から受け止めた衝撃は絶大だ。
 硬直した襲撃者たちの視線を一身に受け、クロスターク王がさらに前に出た。銀の王の隣に立ち、両の拳をより強く握る。
「私の知る男は言っていたぞっ。傭兵にとって、仕事はただの金儲けの手段ではない。請ける仕事内容、方法、過程、結果、そのすべてが己の美学であるのだとっ」
 息を呑む音さえ聞こえない。
「貴様たちの隊形、装備、動きからして、この襲撃はカトルディーナ王の傍に護衛がいない、ただそれだけの理由でおこなわれたとしか思えんぞ! 貴様らは標的を抹殺できさえすれば満足か!」
 畏れながらも憮然とする男たちを侮蔑の目で見据え、完全に圧倒した黒獅子王が傲然と顎を上げる。
「目的のためならば手段は選ばない、か? 結構! だがそれは、愚かな衝動的行為でなくプライドを持って立てた計画を遂行してから言えっ! ……まったく、あきれたものだ。それでも美学と自負を尊ぶ傭兵か! 恥を知れッ!」
 痛いほどに張り詰めた緊張感に耐え切れなくなったか、ひとりふたりと足を下げていく。クロスターク王に屈していく。
 どうにも銃を握る両手が居心地悪い。中途半端な高さにある腕を下ろすのも上げるのも微妙な気分だ。
 右肩で狼がぽつと呟く。
「どーせ国王やるんだったら、お前もこれっくらいの威厳を見せろよ。いい歳なんだし」
「……るせー」
 が、おかげで普段の冷静さを取り戻せた。ついでにクロスターク王が実は勢いだけで相手を圧倒していることにも気づく。
 正論は正論だが、傭兵として働く自分にそこまでのプライドを持っている人間は一握りだ。ほとんどが金のため、生きるためにやっている世界である。そこに気づいてしまえばツッコミどころ満載な演説だ。
 しかし一般市民出に違いない人間では、本物の王者が放つ迫力にはかなわないということだろう。自分ですら一瞬硬直してしまったほどだ。彼らがそう簡単に正気に返れるとは思えない。
(さてと、どうすっか。突っ立ってる奴らの頭を撃ち抜いてくのも寝覚め悪ぃしな。だからってほっとくわけにもいかねぇし。……野次馬の誰かが騎士団を呼びにいってたりしてねぇかな)
 こりこりこり、とグリップの端で頭を掻きつつ、襲撃者たちから目を離す。
 と、
 地面と靴底のこすれる音が。
 発生源であろう場所に目をやる。男がひとり、剣を構えなおしていた。その目は戸惑いが強いながらも戦意を喪失していない。やる気だ。
 クロスターク王が静かに呼吸を整え、男を睨む。
「これ以上続けると言うならば……仕方がない。カトルディーナの同盟国君主として、治安を乱す輩は捨ておけんっ」
 フェンリルが息を呑む。
「今度こそ待──」
「このアーヴィング・クロスタークが相手をしてくれよう!」
 ──どよっ。
「~~~~~~っ」
 フェンリルが言葉にならないわめき声を上げる一方で、襲撃者たちがその目の色を変えていく。
「お、おい、アーヴィング・クロスタークってまさか……」
「あのクロスターク王かっ」
「始末したらすげー賞金が手に入るぞっ!」
 ひとことで言えば、やる気満々。おとなしく黙っていれば、気づかれることもなかっただろうに。
 王は十二センチ下で間抜け顔をさらしている男を見やる。
「お前、実はバカだろ」
「ぐっ」
「しかも獲物も持ってねぇのに。挑発してどーすんだ」
「う、うるさいっ。……くっ、まさかここまで話が広がっているとは……っ」
 不覚の二文字を顔に刻んだクロスターク王をよそに、先ほどまで硬直していた男たちがじわじわと包囲の輪を狭めてくる。
 敵の数はまだ十人以上。こちらは弾数の減った銃二挺と武器なしの足手まとい。
 明らかに不利な状況。だがしかし──ふたりの王は同時に、笑みを刷いた。
「陛下っ!」
 包囲網の向こうに駆け寄ってくる人影がある。
 『右目』 だ。何より力強い援軍。これで負ける要素はひとつもない。
 ──と思いきや、王はここまで来てまた固まった。声だけ隣に向ける。
「おい」
「どうした」
 彼も援軍の面子を見ているだろうに、動揺のかけらもない。声だけだろうかと横を見てみれば、そこにいたのは肩から力を抜いて腕組みをするクロスターク王──。
 王は胸中で汗を流しつつ、問う。
「なんでお前ンとこの副宰相まで来てんだ?」
 時間差ののち、クロスターク王が笑顔のまま上空に視線を逸らした。
「あー、まー、来るだろうなぁ」
 副宰相の心配性で過保護な性格は知っていたが、まさか火事場にまで顔を出すとは。文官ならば文官らしく城で待機していればいいものを。
「ったく……足手まといが増えてどーすんだ」
 が、返ってきたのは意地でも軽口でもなく、余裕の笑み。
「その言葉、すぐに取り消させてやろう」
 とそのとき、聞き覚えのある声が届いた。
「陛下っ、後ろへ!」
 クロスターク王に腕を引っ張られながらもそちらに顔を向ける。クロスターク国副宰相・ライドが、目だけを 『右目』 に振った。
「先行します! 『右目』 殿は退路を!」
「えっ」
 直後、ライドのスピードが上がった。 『右目』 を一気に突き放す。
 彼が常にサーベルを所持している──つまり剣術を会得していることは知っている。さらに男にしては線の細い体で、しかも防具の類はいっさい身につけていない。 『右目』 より体重の軽い彼のほうが足が速いのは想像がつく。しかし、それらを差し引いても驚けるスピードだ。
 ライドはあっという間に距離を詰めると、慌てて向き直ろうとする男の背を踏み台に、跳んだ。踏みつけられてぐらついた男の後ろで身をすくませた男の肩を掴んで倒立。止まることなく両腕で体をはじき出し、空中で転回。
 ──ザシュゥッ!
 王たちの前へ背中を向けて降り立った。
「アーヴィング様、お怪我は?」
 問う声にも、
「ない」
 応える声にも、よどみはない。
「……お前ンとこの副宰相は曲芸師か」
 あんぐりと口を開けたフェンリルおよび周囲の心境を代弁するも、クロスターク王の不敵な笑みは崩れない。
「レウ」
 副宰相のファーストネームを呼ぶ。
「緊急事態だ。お前も相手をしてやれ」
「もとより、そのつもりです」
 ライドがサーベルを抜く。
 あからさまに混乱する襲撃者たち。
 真っ先に我に返ったのは 『右目』 だ。瞬時に表情を引き締め、驚愕の中にいる敵を容赦なく屠(ホフ)る。
 襲撃者を襲う動揺。
 隙に、王が狙い撃つ。
 血が飛び散る。
 断末魔の声を合図に男たちが再び動き出した。
 直後、ライドのサーベルが最前線をえぐる。突きはピンポイントだ。腕の筋を斬られ剣を手放した敵を返す刃で斬り伏せる。慣れた動きである。戦力としても申し分ない。なるほど、クロスターク王が胸を張ったはずである。
 しかし感嘆は漏らさず、銃を操る。
 ライドが牽制と足止めをし、王と 『右目』 が確実に潰していく。十数人いた襲撃者を全滅させるのに、さしたる時間はかからない。最後の頭を打ち抜いて血の海に沈めると王は、全員の息の根が止まっていることを一瞥だけで確かめてから銃をしまった。
 駆け寄ってくる 『右目』 に向き直る。
「なんで副宰相と一緒なんだ。ウォルフと打ち合わせしてるはずだろ」
「打ち合わせと申しましても、いくつか確認させていただいただけでしたから。すぐに終わったのですよ」
 質問に答えたのはライドだった。笑みを絶やしたことのない有能な副宰相は、主君とともに近づきながら事情を話す。
「あらかじめお伝えしておいたはずなのに、我が王と来たら陛下のところへ行かれたきりいつまで経っても帰っていらっしゃらないものですから、失礼ながら執務室にお邪魔させていただいたのです」
 それを 『右目』 が引き継ぐ。
「同じく部屋を抜け出されていた陛下を探していた俺と鉢合わせて、まさかと思い、追いかけてみたら銃声が聞こえたというわけです」
 納得。
 しかし王は口をひねる。
「よくこっちにいるってわかったな」
 『右目』 がわずかに目を細めた。
「あの酒を再入荷したと聞いた陛下が、じっとなさっているとは思えませんでしたから」
 案の定でしたね。
 言葉の陰に棘が見える。
 鼻歌交じりに目を逸らすと、視線の先にはライド副宰相の呆れ顔があった。もっとも、それが向けられているのはクロスターク王だが。
「ともあれ、お二方ともご無事で何よりでした。……ところで、ご用はお済みになられたのですか?」
 側近の苛立ちを感じ取ってかわずかに青ざめていた黒の王が、その言葉で顔色を戻した。ぽむと手を打つ。
「おう、そうだった。行くぞ。どこの店だ?」
 この男に催促されると素直にうなずきたくなくなるのはなぜだろう。
 け、と吐く。
「テメェにゃ無用の長物だ。とっとと城に戻ってろ」
 ふ、と吐き返された。
「誰がお前に頼んだ。 『右目』、案内しろ」
「はい。こちらです」
「おいこらテメェ、ひとの護衛を勝手に使うなっ」
 先導する 『右目』 が足を止めないまま振り返る。
「陛下は買いに行かれないんですか?」
 行くに決まっている。
「置いてかれるぞ?」
 フェンリルにまで促されてしまった。
 さらに、強引さを感じさせない強さで背中を押される。見れば、クロスターク王よりさらに低いところで──といっても百七十半ばはあるだろうから平均身長だが──ライドが笑っていた。
「さ、まいりましょう。早く戻らないと補佐官殿に怒られてしまいますよ?」
 反論要素が見つけられず、王はしかたなく歩き出す。代わりに、柔和な外見からは想像もつかないしたたかさを持つ童顔男へ愚痴を投げた。
「バカの手綱ぐらいきっちり握っとけ、副宰相」
「返す言葉もありませんね」
 言葉の割には軽く笑う。真面目に受け取っていないのは明白だ。
 前方には、一介の護衛に気安い調子で話しかけるクロスターク王と、若干戸惑いながらも素直に応じる 『右目』 がいる。そういえば 『右目』 とライドもずいぶん打ち解けた。もしかしたらカトルディーナの大臣たちよりよほど仲がいいのではないだろうか。
 同盟国とはいえ、冷静に考えたら妙な現状である。
 しかし──。
「……、何をしている」
 距離が開いた先で、振り返った黒の王が小気味いい笑みを浮かべた。
「デカブツのくせにのろまだな。売り切れても知らんぞ」
 死角側に、フェンリルの意味ありげな笑みがかすかに見える。
 だが気づかない振りをして、
「余裕があると言いやがれ。チビは気までちっせぇってか?」
 王は口端をいつもの角度に吊り上げた。

END.
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