一瞬の隙だった。時間にしたら一分も経っていないはずである。
 よそに気を取られた直後、 『右目』 は護るべき主君が消えていることに気づいて素直にあせった。急いで辺りを見渡すが、かの人のはどこにもいない。動揺のせいで見落としたのだろうか。思うも、標準以上の長身が目に入らないわけがない。
(いったいどこへ……)
 今日は、カトルディーナと懇意にしているこの国の王が七十回目の誕生日を迎えた記念に催されたパーティーだ。友好国の王族と政治の中枢を担う人物のみが招かれていることもあり穏やかな雰囲気である。だがカトルディーナ王は特殊な立場であるがゆえに、他国内でも暗殺の危険がつきまとう。どこであろうと警戒を怠るわけにはいかないからこそ、護衛騎士である自分が同行しているのだ。
 当人とてそれは重々承知のはずである。だが自身の銃の腕を過信するでなく信じているからだろう、彼は単独行動を平気でおこなう。実際、今までに何度勝手に城を抜け出そうとしたことか。もう少し護る側の身にもなってほしいものである。
 ともあれ、ここでじっとしていても始まらない。いくらなんでもパーティーから抜け出してはいないだろうから、さっさと見つけてさっさと合流しなければ。
 『右目』 は強引に心を落ち着かせ、先ほどより注意深く視線をめぐらせた。目だけでなく耳も澄ませて会話から有効な情報を探す。
 と、前方、談笑している貴族たちの中に見覚えのあるシルエットを見つけた。
 痩身に文官らしい裾長の服。そこにサーベルを隠すように下げた、自分より年下にしか見えない年上の男性。薄い鼻眼鏡(フィンチ)の奥で微笑をわずかに翳らせている彼は、間違いない、カトルディーナの友好国であるクロスターク国の副宰相だ。
 切れ者──人によっては曲者──で有名な彼なら、途中で王の姿を見つけている可能性はきっと高い。 『右目』 は足早に人波をすり抜け、近づいた。
「ライド殿」
 名を呼ぶと同時に彼が振り返る。
「これは 『右目』 殿。おひさしぶりです」
 一介の騎士である自分に敬称をつけてさらに丁寧に会釈をしてくれるライドの前に立つと、 『右目』 もまた彼に頭を下げた。
「ご無沙汰しておりました。あれからお変わりはありませんか?」
「ええ、おかげさまで相変わらずの毎日ですよ。そういえば先日、そちらに不届き者が現れたとか……。皆様ご健在ですか──……とは、訊くだけ野暮というものですね」
 言って、ライドがくすくすと笑う。
 重くなりがちな気づかいすらも軽やかなものに変えてしまう彼の笑顔におもわず頬を緩めた 『右目』 はしかし、すぐに表情を改めた。
「ところで、少々お訊きしたいことがあるのですが」
 刹那、ライドの眼光が柔らかな微笑には不似合いな力を宿した。
「奇遇ですね。実は私にもあるんですよ」
 ふたりの間から言葉が消える。
 十センチ上と下で交わす視線。
 同時に息を吸い、同時に口を開く。
「うちの陛下をご存知ありませんか?」
 問いは単語まで同じだった。
 ──ざわっ。
 狙ったかのように人波の反対側で起きたのはざわめき。ふたりは言葉もなく目視もしないうちに現状をはっきりと思い知る。
「……どういたしますか?」
 『右目』 が問えば、
「放っておくわけにはいかないでしょう」
 ライドがうなる。
 そうして目配せをして、動揺した空気の向こう側を覗いてみれば。
 壁際にいくつか置かれた休憩用のソファーセットのひとつに、 『右目』 の探し人であるカトルディーナ王がふんぞり返って腰掛けていた。銀の長髪で顔の右半分を隠した王が見ているのは、傍らでシャンパングラスを手に立っているもうひとりの王。獅子のたてがみを思わせる黒髪を肩に流した男性は、ライドが探していたクロスターク王である。
 銀の王が口角を不敵な角度に吊り上げた。
「チビは相変わらずチビだな」
 いくら友好国とはいえ他国の王に向ける言葉ではない。事実問題として彼らに十二センチの身長差があるとしてもだ。
 が、
「そちらも変わらずのようだな、うどの大木」
 返ったのも同じ種類のもの。
 ざわ、とも、どよ、とも言わずに周囲の声が消えた。
 一般的な社交界の人間から見れば、王たちの会話は常識外れもはなはだしい。いっそ規格外と言ってもいい。人々があっけに取られるのも無理はないだろう。だがふたりの王に気にするそぶりは微塵もなかった。カトルディーナ王が手に持つグラスで向かいのソファーを指し示す。
「どうせ暇してんだろ。顔貸せ」
 クロスターク王は、できの悪い弟の悪戯に呆れつつも笑ってしまった、そんな風情で近づき、こちらの王とは比べ物にならない優雅な所作で腰を下ろした。
 視線をテーブルに置かれている酒のボトルに移す。パーティーの開始時間から呑んでいたと考えても到底ありえない減り方をしている中身──王が酒豪どころの騒ぎではないからこその結果というやつだ──を見て、笑みを浮かべる唇から息を吐いた。
「ふ……。酒の呑み方も知らんとみえる」
 これだから物を知らない奴は困る。そんな声が聞こえてきそうだ。
 黒の王はゆったりと肘掛けに体を預け、シャンパングラスを上品に傾ける。
「色と香りを楽しみ、舌触りと味を堪能してこそ、その酒の真の美味さが味わえるものだというのに。……まぁ、体がでかいだけの子供にはわからんのだろうがな」
 カトルディーナ王がハッと鋭く笑う。
「なーにカッコつけてやがる」
 三分の一ほど残っていたウィスキーを、くい、と空けた。
「美味い酒は美味いんだよ。たっぷり呑んでやったほうが酒も本望ってもんだろうぜ」
 グラスに自ら次を注ぐのを横目に見ながら、シャンパンの香りを楽しむ黒獅子王。
「やれやれ。でかぶつの前では上等の酒もただの水か」
 ソファーの背に片腕を回し、豪快に飲む銀狼王。
「酒瓶をただの置物にしちまうチビよりゃマシだろ」
 そして同時に鼻で笑ってグラスを傾ける王たち。
 毎度毎度のことながら、この人たちはどうしていつもこうなのだろう。せめて周囲の目があるときくらい控えてくれればいいものを。
 『右目』 は重くなった肩と背を、しかしそれでも国王護衛騎士の誇りにかけて丸めず、代わりに周囲に気づかれないように深呼吸をした。呼気の方が長くなってしまったが。
 要するに似たもの同士なふたりのやり取りは、放っておいたら間違いなくパーティーが終わるまで続く。さすがにそれは勘弁してもらいたいから止めなければならないわけだが、さて、いったいどこでどう首を突っ込むべきか。
 あれこれと考えているうちに、カトルディーナ王が眉をひそめた。
「ったく、しみったれた呑み方してんじゃねぇよ。男ならガッといきやがれ」
 対し、クロスターク王が顔を背ける。
「酒はがむしゃらに呑むものではないと言っているだろう。その耳は飾りか?」
「…………。ん~?」
 銀髪の奥から、王はにやにやと相手を見やる。
「テメェ、下戸か?」
 クロスターク王の目尻がひくりと動く。
「誰が下戸だ」
 蒼眼は見逃さない。
「ハッ、最初っから素直にそう言やあいいじゃねぇか。ちっせぇぶん酒の回りが速ェってか? それとも体がなまってきたか? そーだよなー? もう若くねぇもんなー? あ~同情するぜ」
「…………。誰の、どこが、なまっているだと?」
 じゃき、と音を立てるクロスターク王の大剣。
「お、やるか?」
 がちり、と音を鳴らすカトルディーナ王の銃。
 ギャラリーがどよめいた。後ずさる。本気を感じたらしい。
 まぁ、まさか、とは思うが──放置はここまでか。 『右目』 は意を決して一歩踏み出した。が、遅かった。人波の先頭に出るのとクロスターク王が立ち上がったのは同時だ。
「受けて立ってやろうっ」
「……何をですか」
 ざっくりと王たちの会話を切り裂いたのは、柔らかくも力のあるテノール。
 おもわず 『右目』 も足を止めていた。その横を声の持ち主が一部の隙もない身のこなしで王に近づいていく。ライドだ。
「まったく……ご招待くださった国王様の誕生記念パーティーで、いったい何をなさるおつもりです」
 クロスターク王がぎしぎしと振り返った。
 主君をまっすぐに見据えて、副宰相が笑い混じりにどす黒いオーラを放つ。
「勝手に歩き回られては困りますと何度も申し上げたはずですよ。なのによくもまぁあっさりと約束を忘れてくださいましたね。この上さらに暴走なさるおつもりなら……」
 左手で右の拳を包み込み、ばき、と鳴らした。
「容赦しませんが」
 あからさまにうろたえたクロスターク王が急いで弁明を試みる。
「ええと、いや、だから、ほら、あれだ」
「おやおや反論がおありなのですか? はっきりくっきり剣を抜こうとしてらっしゃる陛下が? この私に? それは興味深いですね。いったいどのようなお言葉が聞けるか楽しみですよ。はは」
「ぅ……」
 黒の王はすっかり負けている。もはや縮こまった猫だ。
 ライドばかりに仕事をさせるわけにはいかない。 『右目』 もまた己の主君のもとへと進み出る。
「陛下も銃をおろしてください」
「フン、怪我人出すほどヌケちゃいねーよ」
 面白くなさそうに言いながらも、王はすぐに銃をしまってくれた。やはり単なるノリで出しただけだったようだ。
 と、ほっと一息ついたところでカトルディーナ王が半ば睨むように目を向けてきた。
「お前、今までどこほっつき歩いてやがった」
 少し切ない。
 勝手にいなくなったのはあなたでしょう、と口から出かけた文句を飲み込んで、 『右目』 は王の右肩に乗っている 『喋る銀狼の毛皮』 ことフェンリルを見やる。すると、こちらの言いたいことを察してくれた毛皮が片耳をわずかに伏せた。
「この馬鹿、酒が呑みてぇって言ってきかなくてよ。悪かったな」
 出てきた理由で一安心、といったところか。 『右目』 は首を振った。
「いえ。ご無事ならば、それで」
 王が、むぅ、と眉間にしわを寄せる。
「ンだよ。悪ィのは俺か?」
「言わずもがなだろ」
 フェンリルに半眼で睨まれ、王がそっぽを向いた。酒をすする。
 と、そこでようやく説教が終わったらしいライドが改めてこちらに向き直った。銀の王に向かって恭しく頭を下げる。
「おひさしぶりでございます、カトルの陛下。そしてフェンリル殿。変わらずご健勝のご様子で何よりでございます」
「おう、そっちも元気そうだな。噂はいろいろ聞いてるぞ」
 カトルディーナ王の言を聞き、顔を上げるライド。
「不名誉な噂でないことを願うばかりですね」
 柔らかく微笑み、
「ところで陛下。ご歓談中のところ大変申し訳ございませんが、公務が残っておりますゆえ、我が王をお返しいただいてもよろしいでしょうか」
「ああ。引き止めて悪かったな」
 素直にうなずくも、いっさいクロスターク王を見ずに言うあたりが、この王たちのこの関係が続く所以かもしれない。
「恐れ入ります」
 また一回礼を取るとライドは、微妙な表情をしている主君を振り返った。退席を促す。
 クロスターク王が呼吸を整えた。飲み終えたシャンパングラスをテーブルに置いて腕組みし、悪友という言葉がぴったりな相手を見下ろす。
「せいぜい肝障害を起こさないよう、気をつけることだ」
 売り言葉に、
「テメェこそたかがジュースでブッ倒れねぇようにな」
 買い言葉。
 ふたりは嘲笑に見せかけた悪戯者の笑みを吐く。
「陛下」
 しかし横から、言外に 「また馬鹿を始めるなら本気で怒るぞ」 と含ませる副宰相にうながされ、クロスターク王が頬の端っこを引きつらせてソファーから離れた。
 去り際、自分にも軽く挨拶をしてくれたふたりに会釈をして見送る 『右目』 の耳に、ライドの呆れた声が飛び込んでくる。
「陛下……。ご自分のほうが大人だとおっしゃるなら、いちいちつっかからないで度量を見せてください。ガキの喧嘩ですか」
「だがな──」
「何か」
「い、いや、なんでもない。なんでもないからそう怒るな。お前、本当に怖いぞ」
「怒らせているのはどこのどなたです」
「……ごめんなさい」
 主君のためならば命も惜しくないと公言してはばからない彼は、その深すぎるほどの敬愛の心と矛盾しているようにしか見えないほど、王に対してずけずけとものを言う。場合によっては張り倒すこともあるらしい。
 側近が主君をたしなめることは仕事の内だろうが、彼のそれは 『たしなめる』 などという生易しいものではなかった。ありえないほどすごい。一刀両断とは、まさにこのことだろう。切れ味抜群である。
(いつ見てもさすがだ……)
 などと感嘆していたら。
「…………」
 カトルディーナ王が下から 『右目』 をじーっと見ていた。
 すぐに顔を向ける。
「何か?」
「……別に。なんでもねぇ」
 王は絶対に何か言いたいことがあるくせに、無理やり視線を外した。
 口を閉ざした彼の代わりにフェンリルが犬歯を剥いて笑う。
「影響受けちまったら複雑~とか思ったんだろ」
「るせぇぞ、ケダモノ」
「お、図星?」
「酒ぶっかけられてぇか」
「自分も濡れたきゃ、好きにしな」
「…………。覚えてろよ?」
 主君たちのわけがわからない会話を適当に聞きながら 『右目』 は、急降下していく王の機嫌を止めるべく、酒をグラスになみなみと注いでやった。

END.
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