「よく食べますね…」

 呆れ半分、感心半分と言った口調で、キルスケルトはフォディンの匙の進み具合を見つめていた。キルスケルトは既に食事を終えており、前にしている1枚の皿は綺麗になっている。が、フォディンの前には空の皿が2つ。更に、湯気の立つ皿と椀が2つ載っていた。1つだけで、十分大人1人分の量はありそうなのだが……。
「食ってなんぼの仕事なんだよ。お前、俺がただの穀潰しにしか思ってねーだろ」
 不機嫌そうに訊いてきたフォディンに、キルスケルトは勢いよく首を横に振る。冗談で頷くこともできただろうが、そういう雰囲気ではなさそうだ。気のせいか、やけにフォディンはピリピリしている。
 雇い始めた頃は、随分と単純な頭でいてくれたおかげで、何を考えているのか、顔を見ればすぐにわかったものだ。しかし、長年の内外のつき合いを通して処世術を学んだらしく、簡単には窺い知ることができなくなってしまった。それこそ、初めの頃のように、自分の暗殺を頼まれていたとしても、今のフォディンからは気づけない。が、カマをかけてみて図星だと、相変わらず顔に出る。根が善人なんだろう。
「穀潰しというんじゃなくてですね、どうやったらこれだけの量がお腹に入るのか、純粋に不思議なんです」
「貴族の連中は食わねぇもんな。俺くらいのヤツは、これくらいが当たり前だぞ?」
「あ、当たり前……?」
 いつもフォディンはこんなに食べない。満腹だと動きが鈍ると言って、普通に大人1人分を食べるくらいである。それに慣れているキルスケルトには、この異常なまでのフォディンの食欲に、ただただ圧倒されるのみであった。
「ちゃんと噛んでますか?」
「あぁ」
「あの……何か悩み事でもあるんですか?」
 フォディンは手を止めると、不思議そうな顔をしてキルスケルトを見た。が、一瞬、僅かに顔が引きつったのをキルスケルトは見逃さなかった。やはり、何かある。
「お前のお守りしてたら、いくらでも悩みなんてできるだろが。自覚ねーな」
「自覚はありますよ。ただ、フォディンの頭で、悩みを留めておくことができるとは思ってなかっただけです」
「…………」
 口を開きかけたが、フォディンは何も言わず、ただ嫌そうな顔だけして食事を再開した。
 ここで言い返さないなんて、やはり何かある。自分には言えない何か……また暗殺の類か。キルスケルトはフォディンに気付かれないように、そっと溜め息をついた。
 第一王位継承権。それを抱いている自分は、人格も命も何も関係なく、ただその権利を持っているだけの入れ物にしか思われない。だから、中の物を取り出そうと入れ物を壊したがる輩が現れる。勿論、自分には殺される気なんて毛頭なく、入れ物がれっきとした人間であることを知らしめてやる為にも、生きて王位を継承してやりたいと思う。王位を継承しようと思う理由はそれだけではないが、それも立派な理由の1つだ。
「食べるのはいくらでも構いませんけど、お金を払うのは僕なんですからね。ちょっとは考えてくださいよ」
「あー…いいよ、俺払うから。だから好きに食わせろ」
「いつもお金がないって言ってるのに、珍しいこと言いますね」
「明日は雨だな」
 先回りされ、キルスケルトは小さく笑う。頭のキレはいいらしい。
 それから更に一皿平らげたフォディンだったが、食べ終わった後、気のせいか顔色が悪かった。それに動作が鈍い。のろのろ…というより、よろよろしているフォディンを尻目に、さっさとキルスケルトが会計を済ませる。
 店を出ると、すでに月が高く出ていた。夕食の用意はいらないと、あらかじめ城の者に伝えていたが、その時の給仕達の寂しそうな顔を思い出すと、申し訳なさを覚える。彼らを信用していないわけではないのだが、それでも気を許せていない自分が、確かにいた。
「あー食ったなぁ……」
「どうしてそんなに頭の悪い食べ方をするんですか…」
「頭悪いんだからしょーがねぇだろ」
「別にフォディンは頭は悪くないと思いますけど?」
「矛盾すること言うなよ。頭がこんがらがる」
 少し歩いては休み、少し歩いては休み、その繰り返しだ。そうやって時間を浪費しているせいで、今いる場所が場所だけに、酔っぱらいや化粧の濃い客引きの女性が増え始めてきた。フォディンは全く気にしていないようだが、キルスケルトはさすがに居たたまれなくなってくる。
「お前、先に帰ったら?」
「護衛は城に着くまで、って決めてあるでしょう?」
「そうだけどさ。この腹じゃちょっとな」
 フォディンは自分の腹を拳で軽く叩いて、吐く真似をしてみせる。呆れて物が言えなくなったキルスケルトは、無言のままフォディンの袖口を引っ張って、早足で歩き出した。
「お、おいちょっと」
 つんのめりながらフォディンはキルスケルトの後をついていく。この時間帯に城を目指す輩などいるわけもなく、城に近くなってくると人気がなかった。
「ちょっとお前。そんな怒るなよ」
「別に怒ってませんよ」
「その言い方は怒ってるだろ。トゲがあるぞ、トゲ」
 タン、とキルスケルトは、わざと靴音を大きく立てて足を止める。やっぱり怒ってるなぁ…食い過ぎのせいか?やっぱり…そんなことをぼんやりと思いながら、フォディンはキルスケルトの背中を見つめていた。どういうふうに出てくるのか、気になるので声はかけない。
「今回は、いくらだったんですか」
「お前、自分で金払ってたじゃねぇの」
「まさか今の食事代ですか?僕の命って」
「そりゃ安過ぎだろ」
「だから、おいくらでしたかと訊いてるんじゃないですか。はぐらかさないでくださいよ、フォディン」
 そんな丁寧な言葉で訊いてないだろとツッコミを入れたかったが、倍の言葉で畳みかけられそうなのでやめておいた。それに、振り向いたキルスケルトの顔は、暗がりであまりはっきりはしないが、かなり険しい。
「……いくらだったと思う?」
「そうですね…前に300万でしたから、500万くらいですか?」
「…そうか」
 訊いておきながら、その返事は妙だ。無意識にキルスケルトは眉間にシワを寄せる。
「金は出てねぇよ」
「え?」
「親、持ち出してきやがった」
「…………」
「すまねぇな。雇い主が最優先なのはわかってんだけど、こういうの初めてでさ」
 驚きのあまりに、キルスケルトは言葉が出ない。
 フォディンは腰に下げている剣をゆっくりと抜く。鞘と刃が擦り合わされる音が、キルスケルトの鼓膜を震わせた。フォディンに殺気はない。しかし、それに近い張りつめた気を感じる。足がすくんでしまって動かなかった。
 裏切られた…否、そうではない。フォディンの中の天秤が揺らぐことは仕方のない状況だ。フォディンを恨むわけにはいかない。フォディンの家族を引き合いに出してくることを予測していなかった自分に非があっただけのこと。フォディンは何も悪くない。彼は自分の被害者なのだ。
「なぁ王子さん」
「何でしょう」
「俺、腹苦しくてな。走って逃げられたら、ちょっと追いつけねぇんだよ」
「え…」
「それで衛兵なんて呼ばれたら、逃げらんねぇ」
「まさか…その為に……」
 いつも以上の量の食事をしたのか。そして、自分から離れる為に、自ら捕まる気なのか。
 捕まれば自分に手出しができなくなる。しかし、王族に剣を向けたとなると、その罪は重い。重すぎる。皇太子の暗殺。未遂ですら…死罪だ。
「自分がどんなにバカなことをしようとしているのか、わかっているのですか」
「わかってるさ。だから、俺の答えはこれなんだ」
 皮肉げに笑い、フォディンは肩をすくめる。もうすでに、彼は答えを出している。キルスケルトは唇を噛みしめてうつむいた。
 フォディンを失いたくない。ならば考えろ。フォディンを失わずに済む方法を。最善の、策を。

「……わかりました」

 低い声音で言い切ったキルスケルトは、ゆっくりと顔を上げる。顔には出さなかったが、その時浮かべたキルスケルトの表情に、フォディンは一瞬ドキリとした。
 フォディンが初めてキルスケルトと会った時と同じ、感情の全くこもらない、人形めいた表情。わかっている。しかし、突き放されたような気がして、苦いものが胸に広がった。
「まずは、貴方を契約不履行ということで、解雇します」
「ま、当然か」
「貴方に非がある場合の解雇では、それ相応の代価を要求すると言ったのを、覚えていますか?」
「んなこと言ったかな」
「えぇ。契約書にも書いていますよ、しっかりと」
 最後の部分を強調して言うと、フォディンはいつもキルスケルトにからかわれた時に浮かべるような、少し嫌そうな顔をした。そして「どうせ俺は頭が悪いから覚えてねぇよ」とぶっきらぼうに呟く。
「で、なんだ?代価ってのは。利き腕でも切るか?」
 そうすれば、二度とこの職に就くことはできないだろう。その気になれば戻ることは可能かもしれないが、そこまでしてしがみつく職ではないし、もはや未練もない。
「いいえ。貴方の家族を思う気持ちを、僕に見せてください」
「あん?」
「家族の情、それを代価としましょう」
「おま……」
 眉間にシワを寄せ、フォディンは何かを言いかけよう口を開いたが、緩くかぶりを振る。そして、コクリとうなずいて見せた。
「わかった。それまで待ってろ。間違っても、俺以外の奴に殺されたりなんかするなよ?」
「えぇ。フォディンの為に、この命は取っておきますよ」
 互いに不可思議な笑みを交わし、背を向けて歩き出す。振り返ることはない。振り返ることは許されないのだから。



「キルスケルト殿下」

 フィディンを解雇してから10日だ。彼からは何の音沙汰もなく、護衛を失ったキルスケルトは自然と外出が減った。城には敵が多いとはいえ、味方もそれなりに多いのも事実。それに、かつては1人で抜け出してブラブラすることは当たり前だったが、今1人ではつまらなくなってしまったのだ。
「殿下?」
「あ…あぁ、どうした?」
 顔を上げると、やれやれと溜め息を尽きたそうな顔をした従者がそばに立っていた。
「いつもの野蛮な傭兵が来てるんですが」
「ちゃんと名前があるんですから、名前で呼んであげてください…」
 何故か――いや、その通りだと認めはするが――この従者は、フォディンのことを「野蛮な傭兵」としか呼ばない。王族に対する言葉がなっていない、というのが彼女の論だ。一国の王子を「クソガキ」と呼んだのは、おそらくフォディンだけだろう。
 キルスケルトはフォディンの入室を許可すると、従者を下げさせた。フォディンとすれ違う際に、従者は何か言ったらしい。フォディンは何とも言えない複雑な顔をして振り返り、そのままの表情で顔を戻す。それでも、最後に会った時に比べると、随分とこざっぱりした顔をしていた。
「お久しぶりですね」
「あぁ。遅くなって悪かったな」
 フォディンはキルスケルトに近づくと、胸から大事そうに取り出したそれを渡す。
「これが王子さんの言う代価とやらになりゃいいんだけどな」
 手紙だ。しかも、封蝋がしてある。
「これは…」
 その紋様には見覚えがあった。キルスケルトが王になることをよしとしない、とある貴族の印だ。一体フォディンは何を持ってきたのだろうかと不審に思いながら、キルスケルトはペーパーナイフを持ってきて、手紙の封を切る。
「……どうやってこれを書かせたんですか?」
 フォディンの両親を盾にして、キルスケルトの暗殺を強要させたことを認める。2度とフォディンに両親を盾にして脅迫するようなことも、誰かにキルスケルトの暗殺を依頼することもしないと誓う。
 要約すると、そのようなことが署名捺印と共に書かれていた。感心深げにキルスケルトはフォディンを見上げる。フォディンのような庶民が貴族に一筆書かせることは勿論、このような自分の立場を危うくするようなことを書かせるなど、普通では考えられない。
「別に。殴り込みに行っただけだ」
「それでこれを書かせるなんて、大した手腕ですね」
 この手紙の主であるなら、暴力をちらつかせれば何でも言うことを聞きそうな小心者であると思うが、それとこれとは話が別だ。一体どんな手を使えばこんなことをさせられるのか、キルスケルトには想像すらできなかった。
「これで足りるか?」
「十分すぎるほどですよ。……では、僕をお好きなように殺して結構ですよ」
 キルスケルトは手紙を封筒にしまうと、テーブルに置く。それから、先程まで読んでいた本を片づけ、身なりを整えてからフォディンの目の前に立った。
「お前、バカにしてんのか?」
「どうしてですか?フォディンの為に命を取っておくと言ったはずですよ。嘘や思いつきで言ったと思ってたんですか?」
「そうじゃなくてよ……」
 絶対に殺さないと思っているのか。
 短くはないつき合いが続いていて、キルスケルトに抱く感情も、ただの依頼主というだけのものではない。故に、いかなる脅迫をされても、絶対に殺せないだろう。それは認めるが、「この男は絶対に安全だ」と思われるのが、何だか癪だった。
「雇い主がいるならまだしも、いねぇのに、んな面倒なことするかよ」
 ふいと顔を横に向けたフォディンは、あばよと告げて部屋から出ていこうとした。それをキルスケルトが呼び止める。
「今、あなたに雇い主はいらっしゃらないのですか?」
「あぁ。そうだけど?」
 フォディンは覚えているだろうか。忘れていたとしても、キルスケルトは覚えている。あの時と、同じ会話をしていることを。
 少しだけの笑み。それでフォディンも思い出したらしく、何とも言えない複雑な顔をしてキルスケルトを見た。

「では、僕の護衛になりませんか?」

FIN.